化学肥料と農薬

健康のためにオーガニックが流行っていますが、そもそも化学肥料や農薬は何故使うようになったのでしょう。


●戦争が生んだ化学肥料と農薬


そもそも一番大元にあるのは、第二次世界大戦が終わり、平和になったことだ。戦後、日本の都市はどこも焼け野原になった。大勢の兵が復員し、食料が絶対的に不足した。アメリカ進駐軍はこの状況を改善するよう日本政府に要求した。


世の中が平和になって一番余るのは、戦争のときに使った爆弾である。爆弾がいらなくなると、爆弾を作っていた企業、化学会社は爆弾材料を別のものに転用する必要がある。


食料増産に必要な化学肥料は、大正時代からあった。電気で水を分解し空中の窒素を固定する方法によって化学肥料が作られていた。ところが戦後は電力不足で窒素が生産できなくなった。そこで、外国で余った窒素を大量に輸入して肥料にし食料増産をはかった。


同時に、海外から復員兵が持ち込んだシラミ防除のため、DDTが日本に上陸した。爆弾とともに余ったのが毒ガス兵器である。この毒ガスが農薬に変わった。戦後、DDTやBHC、パラチオン(ホリドール)などの農薬が外国から入ってきて、大量に使われた。


アメリカは世界中に、とりわけ戦争で国土が灰燼(かいじん)に帰したところに窒素肥料をどんどん送り、食物を増産し、農業を復興させようとした。


ところが、フィリピンやインドネシアなどの東南アジア諸国には雨季と乾季しかない。雨季にはたくさんの雨が降り、肥沃な大量の水が流れてくるから、肥料などやらなくても農業が成立する。二毛作は当たり前で、年に二回も三回も作物が採れるところである。


そんな国にも窒素肥料や化学肥料を入れるものだから、米でも麦でも背丈が高くなってしまう。作物は自ら葉数を増やし、葉っぱから窒素を抜こうとする。すると葉の重さで倒れてしまうから収穫はかえって減ってしまう。


そこで、いくら肥料をやっても背丈が伸びず、収量だけが増えるように品種改良が進んでいった。これが後に「緑の革命」と言われる農業革命事業につながっていく。


もっとも窒素肥料を与えれば、虫も集まってくる。そこでさらに農薬が必要になるという悪循環が発生した。


また戦後になって、石油化学産業が発達した。塩化ビニールが国産化され、ビニールハウスによって日本のように四季のある国でも、周年栽培ができるようになった。この化学肥料・農薬・塩化ビニールが三本柱となって、それに適応した品種改良、F1種が育成されることになる。

(「タネが危ない」)




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